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いち個人開発者が庵野秀明監督のドキュメンタリーを観た感想

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庵野秀明監督のドキュメンタリー、プロフェッショナル仕事の流儀を観た。 刺さった言葉をiPhoneでメモしながら観た。

とても刺激を受けたので、忘れないうちに反芻して文章化しておく。

「型破り」と「型無し」

ドキュメンタリーは、映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の制作風景を庵野監督を中心に追ったもの。

その制作方法は絵コンテなしという前例のないもので、会議で意見を求められても監督が「まだわからない」と繰り返すところから始まった。 とても謎に満ちていて、象徴的な「型破り」な手法だ。

駆け出しの新人がすぐにでも真似したくなるカッコイイ制作手法。 いや、これを観て絶対に真似する人が現れると思う。 でもその表面的なところだけ真似しても間違いなく失敗する。 基本もままならない人が真似しても「型無し」になるだけだ。 ダウンタウンが台本なしで漫才してるのがカッコイイからと、たくさんの新人漫才師が真似して失敗した話を思い出した。 何十年も型に則ってやってきて、そこに限界を感じたから敢えて絵コンテ無しでやってみたい、との事だった。

自分の想像の範囲を超えるには

作品イメージを膨らませる中で、シーンのアングルを探る工程で発せられた庵野監督の言葉が印象深かった。 庵野監督自身は手を動かさず、スタッフにカメラを持たせていろんなアングルで模擬セットを撮らせる。 なんで自分でやらないのか、と質問すると彼は以下のように答えた:

  • 周りが困るのが良いんですよ
  • 自分の外でモノ作りする
  • 自分で作ると自分の想像の範囲を超えない

だから任せるんだ、と。 人と関わるのが苦手な自分にはとても刺さった。 つまり人に任せることで思いもよらない発想とか偶然が生まれるのを期待してるんだと思われる。 絵コンテという設計図が無いから、庵野さん自身も実験のつもりで試していたんじゃないか。 結局、我慢できなくなって自分でも撮るところがお茶目。

さて、この言葉を個人開発と重ね合わせるとどう解釈できるだろう。

いやいや、個人開発は独りで作るんだから「自分の外」も何も無いじゃない。 人にアプリのアイデアをもらって作ったって、ニーズを満たすものなんか作れないよ。 周りを困らせてどうすんの。

たぶんこう思った人は多いんじゃないだろうか。

それはある意味正しい指摘だが、同時に視点がズレている。 その視点は、最初に述べたような「型無し」的理解によるものだと思う。 つまり本質は別にある。

自分は独りでアプリを作っているが、だからと言って人と全く関わりがない訳ではない。 そう、ユーザの存在だ。 ユーザと関わらずずして良いアプリなど作れない。 ユーザはフィードバックをくれる。 毎日フォーラムやチャットで意見やバグ報告や感想をくれる。

彼らとやりとりしていると、予想外の使い方をする人や、提案をしてくる人がいるのが分かる。 「言われてみれば確かにそうやな・・」と思って実装した機能は多々ある。 「自分の外でモノ作りする」という言葉の意味は、自分の頭の中では見過ごしていた観点や知らなかったモノに気づく機会を求める事なんじゃないか。 ただ単に他人に任せて「違う」とか「いいね」とか言うことではない。

拙作アプリにはプラグインの機構があり、ユーザが好きにアプリを拡張できるようになっている。 この仕組みによって、作者の想像を超えたアイデアが実装されている。 有料アプリなのにGitHub上でユーザ同士がプラグインを改善しあっている。 これも「自分の外でモノ作りをする」一つの形なのではないか。 ユーザの才覚を信じて、思いっきり遊んでもらう。 こちらはそれを全力でサポートする。 個人開発だけど、チームもいないけど、ユーザと交わることで自分の想像の範囲を超える事は可能なのだ。

こういう可能性はもっともっと伸ばしていきたいな、と思った。

完璧を目指さないほうが良い

もうひとつ印象に残ったのが、庵野監督の父親に関するエピソードを交えながら、個性あるアニメキャラクターの要素について話す中で出てきた言葉。

  • 欠けているから面白い

足が無いとか、腕がないとか、感情が欠落してるとか、未熟だとか、頼りないとか、そういう不完全性が面白い、愛おしいと言う。

綺麗なものを作っても、それはただ綺麗なだけでしょ、そんなのは観ても面白くない、とも言っていた。 これもとても共感できる。 人間はみんな不完全だからだ。 その不完全性にもがいたり、補い合おうとするから面白いと自分も思う。

オープンソースのプロジェクトは、初めから出来が良すぎるとあまり盛り上がらないという。 不完全な方が議論が起こり、プルリクエストが飛んでくる。 なので、あまり完璧に拘らずに公開しようと言われている。

アプリでも同じことが言える。 なぜならユーザは一緒に作るのが好きだからだ。 改善の余地があって、それを一緒に議論して、改善し、彼らの貢献を称える。 リリースノートに報告者や提案者の謝辞を入れると喜ばれるのはそのためだ。

作者も不完全だし、ユーザも不完全だし、アプリも不完全である。 それを一緒にもがいて補い合おうとする。 それを続けているうちに徐々に面白くなっていくんだと思う。 ユーザフォーラムはやっぱり大事である。


という訳で、いち個人開発者が映画監督のドキュメンタリーを観た感想でした。