丁寧に手を抜く

頑張らない努力

京都の両足院で座禅体験したらいろいろ気付きがあった

TEXT by TAKUYA

京都に思いつきで旅行に来ている。

前々からしてみたかった座禅の体験をやってきた。場所は建仁寺の中にある両足院というお寺。

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天気はあいにくの雨だったけど、お庭の緑がしっとりと濡れてとても美しい。

入場して廊下をしばらく行ったところに、参加者が静かに佇んで待っていた。

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眺めが良いので待ち時間はあっという間に過ぎた。

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しばらくして住職の伊藤さんが現れて、座敷の中に通された。

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畳には等間隔に座布団が敷かれていた。上の写真は終了して片付けた後のもの。

ここに30人ほどが座って座禅についての解説を聞いた。 そのお話がとても面白くていろいろ学ぶことが多かった。 忘れないうちに書いておこうと思う。


まず座禅とは心を無にすることではない。 むしろ、普段あまり気にかけていない感覚に意識を向けることで、様々なことに改めて気づく作業なのだそう。 例えば、普段仕事をしていると頭の中はそれでいっぱいにかるが、五感はその間もずっと動いている。 ただ、意識の割合がずっと思考に寄っているだけなのだ。 座禅ではその偏りをほどいて、「思考+五感」の割合を均等にする。

そのための第一ステップとして、まずは音と匂いに注意してしばらく目をつぶって座る。 線香が焚かれ、拍子木をカンと叩いてスタート。 雨のしとしと音、鳥のさえずり声、木々の擦れる音、だれかの咳・・・、様々な音が聞こえる。 普段「雑音」としてひとくくりにしている音が、耳の感覚に集中することで一つ一つの構成音に気づくことが出来る。 鼻から伝わる京都の空気、朝の少し冷たい気温、雨の湿気・・・。 これらはパソコンをカタカタやっている時にはまず気にかけない感覚だ。 意識が凛としてくるのを感じた。

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続いて、身体の器官に意識を向けてみたりした。腕を伸ばすとじんじんする感じとか、前屈しながら身体の様々な部分の感覚に意識を巡らせた。 これがやってみるととても楽しい。 座って前屈すると当然ふくらはぎや首などの伸びている部分に集中するけど、太ももの前側とか胸、背中を意識することはあんまりない。 動作とはあまり関係なさそうな部位を意識しながらやると、体って全部つながってるんだなという事がよく分かる。おもしろい。

そこで、住職の話に集中して聞くのではなく、背景音にも意識を巡らせたり体の部位を意識し、お話はあくまでその内の一つとして情報を受け取ってみた。 すると、今まで感じたことのないような、「聞いてるけど聞いてない」みたいな感覚になって、とてもリラックスした状態になった。 この状態で仕事が出来たら日常のストレスが激減しそうだ。

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そして次に目を開けたまま、半眼の状態で座禅を組む。 目の情報は膨大なのでつい意識の多くを奪われるけど、その視界への意識を開放する。 何かを注視するでもなく、ただボヤ〜っと空を見るような感じ。 気を抜くと目を閉じてしまったり、どこかを注目してしまうから難しい。

話と体験を通じて、座禅とは感覚や意識の偏りや執着をほどいて、ニュートラルな状態に持っていくエクササイズなのだなと理解した。 パソコンやケータイばかりしていると情報の入力が目と耳に偏る。 特定の神経ばかりに偏って興奮状態が続く。 だから身体性を失いがちで、ストレスも過度に溜まる。 座禅はその失った身体感覚を取り戻してストレスを受け流させてくれる。 気づかなかった執着に気付き、それを手放す機会を与えてくれる。 自分はそんな風に理解した。

参加してよかった。

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両足院の座禅体験はほぼ毎週末の朝にやっているので、京都に来た際にはぜひおすすめ。 ヨガとかもやってるらしい。